ホーム夢の見つけ方/かなえ方映画制作 >工房の主人

工房の主人

-映画を「見つける」までの、長い長い道のり(1/5)-
無題
人は、変われる。

経験者が言うんだから、間違いない。
自分のことだから、長くなりそうだ。

夢中になるものを見つけたくて
20歳。都内の大学生。
この頃の写真なんて、ない。
何かやりたい。でも何がしたいのか分からない。

ずっと家にいた。ほとんど人と話さなかった。
自意識過剰で、劣等感が強すぎた。

「ビデオカメラ、いるか?」ある日、祖父が言った。
急に、映画を作りたいと思った。
しかし、誰もいなかった。
もがいてた
数本、一人で撮った。
また、つまらなくなった。

映画は一日に3本くらい見ていた。

人がどうやって生きているのか、知りたくて知りたくて仕方なかった。
ある日、新聞の広告で「アジアン・ジャパニーズ」という本を知った。
何かを求め、海外で放浪を続ける日本人たちのドキュメンタリー。

すぐに買い、その日のうちに読み切った。
体が火照った。
自分だけじゃないんだ・・・。
有名無名、300人分くらいの伝記、自伝を読んだ。

飛び出してしまった
ニュージーランドに来ていた。

遠くに行きたい。一人になりたい。
一番長く、安く海外で過ごす方法は。
本屋さんで、ワーキングホリデーを知った。

現実逃避60%。新しい何かへの期待40%。
あえて肉体労働を選んだ。
体重は、1ヶ月で7kgも減った。

つらかったが、日本にいた頃よりはまし。
そう思って半年働いた。
腹筋が六つに割れていた。

劣等感が一つ、消えた気がした。
グループで旅したこともあった。
写真を撮るとき、女の子が腕に手を回してきた。
僕は単純に、色めき立った。

次の日、彼女が言った。
「来月、日本から彼が来るの。」
スイス人と旅を始めた。
ガソリン代をシェアする。
きれいな景色よりも、相棒の考え方に影響を受けた。
一人になりたい。
僕は孤独な旅に出た。
なぜか、何も怖くなかった。

自由だ、と思った。

すぐに、"日本人"という大きな足かせに気付く。
「海の向こうで暮らしてみれば」
このテレビ番組が、きっかけだった。
ある日、僕は山に登った。

ラジオをつけた。
流れてきたのは、ジョン・レノンの「ウーマン」、
「海の向こうで暮らしてみれば」の主題歌。

もっともっと無茶がしたい。
ヒッチハイクを始めた。
次のページ(2/5)

© 映画工房カルフのように Copyright Since 2005