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佐藤恵司さん

前作のお話からお願いします。
 『穏やかな生活』というタイトルの映画です。
で内容はあの、身体障害者の方が主役なんですけども、その人が嘘をついて、善意の人からお金を盗るというお話です。


普通、手を貸そうとか、かわいそうとか、そういう対応だと思うんですが…
  そうですね、障害者の人から言わせればそういう、障害者の作られたイメージ、なんか心がきれいな人が多いとか、芸術性に優れている人、とかテレビで扱われているそういうがんばってる人、みたいな人しか扱われないじゃないですか。
でも実際には悪い人もいれば、おんなじ人間なんで、やっぱりいろんな人がいる訳じゃないですか。だからそういうイメージを、くずしたいっていうか、そういう人ばっかじゃないんだよっていう人が障害者の人にも多くって。

 私が出会った、主役をやってもらった人っていうのは、障害者の性っていうのを特に、広めたいって活動してる人で、障害者っていうのは性欲もないっていうような、ま障害によっても違うんでしょうけど、あのピュアな、心が澄んだ、そういうイメージがやっぱしあると思うんですよ。
でも障害者もそういう性欲があって、ま男の場合だったら特にセックスしたいってのもあるでしょうし、女性の場合もやっぱし、まそういう風な、特に今なんてこうマスコミでそういう手の情報って氾濫してるじゃないですか、だから女性の障害者なんかも、一度はこう、死ぬまでに抱かれたい、とか、それってどういう気持ちなんだろうとか。特に女性は、そういう機会ってのはないじゃないですか。
だからその男の人は性の解放みたいなの、障害者の、運動をしてる方なんですけどね。


どういう活動内容なんですか?
今のところは男性中心なんでしょうけど、障害者が一番、性として触れられるのは、男性の場合は風俗になると思うんですよ。
でもやっぱり風俗に障害者の人がやりたいなと思っても、バリアフリーにはなってないわけじゃないですか。入りづらかったりして、やっぱ車イスとかだともう、門の前からそうなってないから入れないとかそういうのを無くそうとか、そういう風俗の人と相談して、こういう風にやれば来てもらえる、とか、風俗嬢の人にもそういう人が来たらこういう風にしたら対応できますよ、とかアドバイスしたりとかしてるみたいなんですよね。

その逆の、男性の人がそういう女性の人が来た時に相手にするっていう風なのも何かあるみたいなんですよ。女性用の風俗みたいなのですね。ほんと少ないみたいなんですけど。


以前の作品にも、性の悩みを扱った映画がありましたよね?
あれは、ある男の人が主人公なんですけど、その人はあの、性に対して自信がない、ていうことで、セックスしてもうまくいかなくて、それが原因で恋愛にちょっと奥手になってしまった人を描いたんですよね。


人間の性ってものをテーマに映画を作っているんですか?それともたまたま続いたんですか?
性にも興味があるんですけど、ま人間の面白さみたいなのが、自分の中の映画のテーマ、であるんですよね。
ま性欲ってのは、食欲とか寝ることの欲とかと一緒なんですけどでも、一番隠されてる部分じゃないですか。


映画をそもそも作り始めたきっかけっていうのは?
高校時代に見た映画がきっかけで映画を好きになったというのがあって、そこで映画ってすごいなって思って映画をずっと見るようになって。
いつから映画監督になりたいと思ったかははっきりしないんですが、徐々になんか作りたいなあっていう風になっていったんでしょうね。


初めて作ったのは?
初めて作ったのはもう、7年くらい前になるんじゃないかなあ。
初めて作った時は一人じゃなくて、映像系のそういうとこに行って仲間と一緒だったんで、そういう機材とかも、あったんです。


一番最初の役割は何でしたか?
監督、脚本もでした。


できはどうでした?
うーん、どうなんでしょうねえ。うまくいかないですよねえ。


そこで、あーもうだめだ、と辞めちゃう人と、続ける人に別れると思うんですが、
まあまだ一作目でしたからね、まだまだこれからだと思ってましたんで。


その後、進路としての映画はどうとらえていましたか?
高校を出た時にはまだ、映画監督になろうという気持ちはなかったんですよ。
その時はねえ、格闘家になりたいと(笑)思ってたんですよ。私高校を卒業してから2年間、自衛隊にいたんですけど、一応格闘家になりたくて。
で2年間経ったら東京出て、映画監督になるために、まあがんばってみようかなと。


自衛隊辞めた段階で、仕事は何をされたんですか?
  山形出身なんで、就職しないと親も出してくれないんで、就職してそれから、ま映画のことを、って思ったんですけどやっぱり何にも知らないで来て、何の映画関係のつてもないし、って結構悶々と2、3年くらいはそこの工場で働いてましたけどね。

工場で働いた後は、たまたまぴあ(PFF)ってあるんですけど、そこの採用になんか応募したら、たまたま受かってしまって、そこのPFF事務局で一年働いたんですよ。


仕事内容はどのようなものだったんですか?
ほんとにあの、コンクールの助手みたいな。応募されてきた作品を見るための準備ですね。審査員はいるんで、見たりはしないです。


その後は?
そこでやっぱぴあっていう映画とのつながりができて。映画監督になりたかったんで、現場に行きたいっていうのが第一目標だったんですよ、その時は。
で、現場に知り合いがいるから紹介してあげるよって言われて、現場に行ったんですよ。商業用で、ドラマが多かったです。


そこにずっと残らなかった訳は?
  2年間くらいやったんですけど、経済的に厳しかったっていうのがあって。
ぴあってのを通して自主映画ってのを初めて知ったんですよ。で、その頃ももう、ビデオとかそういうものが発達してきて、結構自主映画作ってる人が多くなってきた時代だったんですよ。
だったらなんか、自分でやりたいなっていう考えもあって、そういうところから現場にはだんだん行かなくなっちゃって。
なんかバイトして金貯めながら映画撮る、っていう風になっちゃって。
後はまあ、いろいろバイトしながら今の仕事してるって感じですね。


この先、どんなとこを目指していますか?何となくでいいですが。
難しいですよねえ(苦笑。インタビュアーも深ムく苦笑)。
ま、希望としては映画を作りたいというのは、今でもあります。ただそれが難しいのであれば、今みたいに仕事をしながら自主映画を作って行くっていう方法もあるし、どうしても映画の仕事をしたいんであれば、何でもいいから映画の仕事をした方がいいのかなって気もしますし。


結婚してて表現活動をしてるっていうのは、なかなか少ないと思うんですけども。
うん、両立は難しいですよね。


次回作はいつ頃完成予定なんですか?
完成は6月(2003年)くらいですか。


公開方法はどんな感じですか?
仲間と上映会をやってるっていう。


お金もとって?
はい。でも制作費の回収とか、そこまではとてもいかないですけどね(笑)。上映会でかかったお金を回収するくらいですね(笑)。

(2002.12.16インタビュー)



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