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南原健朗さん

最近のお仕事を教えて下さい。
 今は役者だけで食ってて、最近はですね、池袋の芸術劇場で、ワールドカップにちなんで日韓の芝居をやったんです。終演後にレセプションみたいなのがあって、たまたまいらしてた筑波大の、助教授のウォンさんていう女性の方なんですけども、その方にまあ、日本と韓国の差とかインタビューされて。

 でまあ、すごい楽しかったですとか、いろいろ話してたんだけど、役者に絡めた比較文化論みたいな、そういうものを大学でお話してもらえないかって言われて。
まそこで、僕の経歴とか、今思ってる事とか、これからどうしていく、みたいな話ができて。

 うまくしゃべれなかったんだけどでも、アンケートとかそういうの見ると、結構好評で、やっぱ学生さんとか20代の前半っていうと悩んでる事多いみたいでね。
僕のそういう話を聞いて、悩んでたものが、別に解決したわけじゃないけど、なんか一つの参考になったって、ほんと悩まずに次のステップに進みます、みたいなことを言ってくれた人も結構いたんで、あ、やれてよかったのかなって。


魁さんとしての仕事に対するスタンスとは?
 ま僕は、それこそプロとしてやる上では、やっぱ好きな事ばかりできないのは仕方ないと思うし、今できなくても将来はちゃんと自分が影響力持つ事によって、自分のやりたい事、伝えたいメッセージを持った作品をやれるような状況にしてくっていう、ちゃんとそういうスタンスがあれば大丈夫だと思ってる。
 役者として出れるのであれば、選り好みはしませんよと。そういう感じで、それこそ、いい目だけ見ようとは思ってない。


役者を志すまでの経緯を教えて下さい。


































 うちはまあ、両親が役者、で親父もお袋も、今の人はあまり知らないかもしれないけど、いわゆる父親ってのは結構なスターだったんですよ、昔の映画の。でまあお袋も宝塚出身で、結構宝塚退団後も、かなり映画テレビ舞台で活躍した人で。

 僕は幸か不幸かまあ、役者を志したのは二十歳を過ぎてかならんですけど、まあ普通だったら、そんだけ有名な人の二世だったら結構ポーンと出ちゃうイメージってあるんですけど、僕はどっちかって言うと、それがあまりにも自然過ぎたんで、逆に興味なくって。

 ま、ただ映画は好きで、結構見てて。その後大学に入って、で入った時にイメージと違ったんですよね、大学っていうものが。そこで一年、いろいろ考えて、ほんとに自分がしたいものって何なんだろうなーって思ったんですよね。
まあ今考えると中途半端な感じだったと思うんだけれども、その当時、ちょうどうちの弟が、今彼は役者やめちゃってんだけど、子供番組の戦隊モノのヒーローみたいなやつの役が決まったのもあって。
それで、あいつにできんだったら俺もみたいな。映画は好きだから、最初やるんだったら、役者かなあみたいな。  って感じで養成所受けたら受かって、そこで2年勉強して。その後、外の事務所に入ったけれどもその事務所もつぶれたりとかね、いろいろあって(笑)。

 でまあその後、結構伝統的な劇団なんかにも入ったんだけど、最初は役者じゃなくてその、黒子さんとかの仕事をしながら旅公演してて、結構ハードだったんだけども、それなりに楽しかったんですよ。

 でもだんだんやってるうちに、旅公演で毎日毎日ずっとやっていくようなとこだから、芝居の取り組み方っていうのが、忙しさの中でやってるからどうしてもこう、事務的なやり方になってきているのがすごい気になって、それとあと、人間関係がすごいグッチャグチャで、それがもう、僕としてはもう、ここにいたら腐るって思って。
でそこは4か月でやめちゃったんです。

 でもまあ今考えてみれば、もうちょっと我慢してれば、とか思ったりするけど、その若い頃の僕なりの純粋さだったんだなあとは思ったりするけどね。

 ちょっと大きなプロダクションにもその後入って、そのうち僕も結婚しまして、まあ自分の子供も生まれたりとかして。ま、仕事もコンスタントに入ってきてたんだけどね…。
結局僕なんか全然無名だし、仕事してるってったって一本のギャラはもう、たかが知れてて、それがもう3、4ヶ月後に入ってくるみたいな感じだから、とてもやっぱり役者の仕事だけじゃ追っつかずに、まあ普通もそうだろうけどアルバイトしながらって形でやってたんだけど。

 その当時の仕事っていうのは、ナレーションのレギュラーとか、バラエティーのレポーターみたいな役とか、あと、これができなかったらタレントさんにおっぱい触らせろとか(苦笑)、そういうことを言わなきゃいけないような役で。
こんなことやりたいんで俺やってんのかなーって。後やっぱり家族をちゃんと飯食わしていかないといけないっていう中で悩んで、ここは一旦休んで手に職つけてって思って、一旦事務所とか全部止めて、就職するんですけど。

 ただやっぱり、僕はそういう、普通に就職してやっていけるような人間じゃなかったっていうか(笑)、それが、30前後くらいですかね。やっぱりやりたいことをやらずに、家族のためとは言え、そういう自分に嘘をついたわけね、そういうところね。
で、子供は二人できたけども、離婚して、一人になって、その後いろいろこう、自主映画の仲間とか知り合ってやったりとかしたけども、やっぱりプロの現場ってものをやっぱりやってかなきゃだめだと。

 でまあ、役者やりたいって、その話を周りにもしてたら、たまたま、当時養成所を出た後に入った劇団で一緒だった人が、劇団をやってて、魁君手伝ってほしいってことで。

その人を通して、今年の6月に日韓合同の文化イベントで、1ヶ月半に渡って日本と韓国で公演を打って。
僕も初海外だったから、とてもいい勉強になったし、で今、僕の中で、仕事ができるっていうかね、そういう自信にもなってきたし。
その後ね、事務所とか関係なく個人でVシネマの仕事とか入ってきたりして、そこで久しぶりに映像の仕事をやって、すごい不安もあったんだけど実際にやってみたら、結構スタッフの人にも気に入ってもらえて、役者の人とは仲良くなって。

 やっぱここはほんとに、ちゃんとした事務所にちゃんと所属して、って思っていろいろ動いたら、前所属してたおっきなプロダクションに、また所属させてもらえることになって。


今後はどんな方向性にいきたいと?
 今後の理想としてはほんとに2、3年後にはとりあえず、僕の名前をいえば「あ、知ってるよ」って言われるようになりたいね。

 僕はやっぱり、胸が熱くなる感動のドラマがやりたいすね。やっぱり何かを人に訴えかけるというか、人に喜んでもらえるっていうね。そう言う作品に多く出たいなっていうかね。
そういうものをどんどん作っていけるような団体も将来作りたいしね、そういうクリエート集団みたいなね。で、しかもちゃんとビジネスとして成立するものであると。

 結局才能のある人間が、生活ってものに追われずに、自分の才能をそれだけに集中できるような状況って言うのは、今後将来に渡って作っていけるような自分でありたいなと。
まそのためにもやっぱ、ちゃんと出て、影響力を持って、お金と人が集められる人になりたいと。

 僕はやっぱ、今年37になるまで出れなかったんで、逆に僕はそこを良しとしてて、逆に今まで出られなかったからこそやっぱり、僕って者がしっかりこの17、8年くらいの間に出来てきてると思うから、もっといい形で多分、いいものを発信していけるようになると思うんだよね。
(2002.11.3インタビュー)



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